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3月, 2018の投稿を表示しています

良き日、Good Friday

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故郷広島や日本の各地で桜満開、お花見日和だった今週、、、 NYエリアではまだまだ日中も肌寒く、桜ももう少し先までお預け、雨も降って雲も多く、日本の桜だよりを「いいなぁ~♪」と羨ましくながめていたここ数日。 今日土曜日はやっと春らしくなったものの、昨日まではどうもずっと平年並み以下の温度でドンヨリだった。 そんな中で麗らかな春を乞いながらの先日木曜日には、3月末の多忙な日々のおかげさまか、仕事帰りに「行先の違う電車に乗る」というこれまでにない失態をおかしてしまった私。きっと疲れていたんだと思う。。。 その翌日だった昨日金曜日は、今週末日曜日のイースター(復活祭)前の「グッドフライデー」という祝日にあたり、私は仕事がお休みで3連休の週末。 キリスト教の話によると、キリストが十字架にかけられ処刑された日がグッドフライデーとなり、翌日(土曜日)は何も無し、そしてキリストが復活した日曜日がイースターとなっている。 グッドフライデーに休業しない職場もあるようだけど、私のオフィスはお休みとなったので、間違った電車に乗ってしまうくらいボケてヨレていた私にこの3連休はありがたくて仕方ない。 せっかくなのでしっかりのんびりしようと、昨日はLLAMAの屋外作業(共同ガーデニングの開墾作業)に息子と同行し、まだ少し寒いけれど外の空気を楽しんだ。 夫は草刈り、妻と子供はレジャーシートに転がり簡易ピクニック兼見学。 Good Fridayの名前は諸説によると、キリストが人類の罪を贖い復活へ向かった聖なる日(=良い日)であるためにGood Fridayとなった、又はGod's Fridayが変化しGood Fridayとなった、など色んな由来があるらしい。 キリスト教徒でない私にとっては、この祝日の恩恵を受け家族とのんびり過ごせたとても良い一日"good Friday"であった。 心をこめて綴ります バナーをワンクリックでランキングの応援をお願いします にほんブログ村

ロマンチスト夫婦の小さな贅沢

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人にはそれぞれ「ノスタルジックな気持ち」にさせられる物や行為があると思う。 子供の頃に遊んだ場所やよく食べていた物、またはアンティーク品などを見ることでもそんな気分になることはあるはず。 私の場合は、色んな所持品を日本に残してアメリカにやって来たので、我が家の中には夫 LLAMA が持ち込んだものと私達が新しく購入したものがほとんど。自分が持ってきた日本からの長年の思い出品はあまり無い。 そんな中、このコーヒーミルは近年購入したにも関わらずとてもノスタルジックな気分に浸れるアイテムの一つになった。 子供の頃は、祖父母の家でたくさんの時間を過ごす機会があり、祖父母宅での思い出のひとつがこんな手動のミルでコーヒー豆を挽く時間。 記憶にあるのは、お茶の時間の準備にこのミルで豆を挽く役目をするのが楽しかったこと。子供だったのでコーヒーを飲むことに興味はなく、またコーヒーがゆっくりドリップされて出来上がっていくプロセスは面白いものの時間を要することを(今思えばコーヒーが落ちるだけの短い時間でも子供にはとても長い)いつまでも楽しむ辛抱強さは無く、、、唯一楽しいのがゴリゴリ … と豆を挽く行為だったので、これは率先してお手伝いしていた覚えがある。 ミルはちょうどこんなかんじで、上からコーヒー豆を入れてハンドルを回し下の引き出しから挽かれた豆を取り出すタイプだったと記憶している。 親や家族とデパートへ買い物へ出かけると、帰り際に買っていたおじいちゃんが好きなブルーマウンテン。いつもよく聞いた名前だったので、この豆だけは知っていた。 いまは自分もコーヒーをよく飲む大人になり、毎朝のコーヒーは欠かせないし、妊娠中も(減量したものの)止められなかったし、寝る前でも飲みたければ飲むほど、コーヒーを消費する。もともと Coffee よりも Tea 派の夫 LLAMA も(誰の影響か … )朝は一緒にブラックコーヒー派になり二人揃ってコーヒー必須なので、コーヒー豆の買い物も欠かせない。 我が家から最寄りのスーパー Fairway Marke t には、香り漂うコーヒー豆売り場があり、ここが私たちの普段コーヒー用の豆物色スポット。 ここで量り売りされている豆を買い、家で毎朝挽いてコーヒーを淹れている。 コーヒーをよく飲むのに、...

Saint Patrick's Dayの演出にて

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今週末はSaint Patrick's Day 前回のブログ の鉄道模型ショーを開催した教会がある町Pearl Riverは、アイルランド系の住人が多いエリアで、 Saint Patrick's Dayのパレード が毎年開催されている。 過去にはLLAMAとそのパレードを見に行ったことがあり、今年はちょうど今日開催されており我が家も行ってみようかと話していたものの... 快晴ながら風が非常に冷たい気候と、ついに私からの免疫が切れてしまったか、お鼻がタラタラになった息子の大事を取って今年は見合わせ。 家でぬくぬくの日曜日を過ごしている。 そんな我が家のハナタレ小僧も今日で8ヶ月。 出産前にLLAMAのお友達からお祝いで頂いた、バースデー記録写真用に数字が書かれたブランケットを使って、恒例のマンスリー記念写真を撮影。 これまで毎月、いくらか季節感を出すため有り合わせの小物を使ってそれぞれの月を演出してきて、今月はもちろんSaint Patrick's Dayのアレンジで。 LLAMA家系から受け継ぐアイリッシュの血が騒ぐのか、なんとも楽しそうな姿でポーズをきめてくれた。 衣装はグリーンのシャツとアイリッシュキャップ。 アイリッシュミュージックに使われるペニーホイッスル(笛)と、アイリッシュ作家James Joyceの1929年製革張りアンティーク本はLLAMAの私物から拝借。そして私が即席で切り出した色画用紙のシャムロックを散らして、今回の有り合わせ演出にした。 さて、次回の記念撮影は4月の後半。 NYあたりはちょうど桜の頃なので、9ヶ月写真のテーマはお花見でいこうかと、親ばか二人は計画してる。 心をこめて綴ります バナーをワンクリックでランキングの応援をお願いします にほんブログ村

地元教会のモデルトレインショー

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最近は、朝夕の駅で停車する列車をじっと車の窓越しに眺めるようになった息子。 エンジンと汽笛の音、そして動く大きな鉄の車体が気になろのだろう。 そんなことで、ちょうど同じロックランド郡内の Pearl River という町で、ある地元教会がモデルトレインショーを開催していると聞き、出かけてみた先週のこと。 実は昨年もこの時期に同じショーが開催されており、春先と言えどまだまだ寒い中妊婦だった私は、温かくしようとモコモコに着込んで遊びに行ったのを思い出す。 今年も先日の嵐で積もった雪がしっかり残る寒さの中、厚着の代わりに人間湯たんぽの息子を抱えて来場。 町の小さな教会の、礼拝堂の横にあるちょっとしたスペースが会場。 小さな場内には立派な列車模型が設置され、地元の家族連れやモデル好きとみられる人たちで賑わっていた。 本物に比べるとずっと小さいとは言え、こんな立派なモデル列車が何台も大きな模型の中を走り回っているので、ガシャンガシャンと結構な音が鳴り響いている。 家で見ることのない、ミニチュアジオラマの世界。息子には何が何か分からないだろうけど、初めて見るものばかり。 そのうえ、モデルに夢中になる元気な子供達と歓談する大人達とで所せましの会場。 普段なかなか人混みに行くこともなく我が家の KING をはっている息子は、人も音も動き回る列車も何もかもが気になり、目をまん丸にして終始無言で辺りを観察していた。そして、自分の目の前を列車が通り過ぎればそれに目を奪われ … また周りのすべてが気になり、またまた列車に気を取られ … と、きっと色んな刺激がたくさんだったに違いない。 会場でお披露目されていたモデルには、レトロでアンティークなものから、子供達が好きな機関車トーマスのおもちゃまで色々あった。 物心がつき自分の好きなものもはっきりしてくる年頃の子供たちは、気に入ったモデル列車を楽しんで見ていたが、我が家の子は何でもかんでも 珍しそうに見入っていた。 今は興味を示せば何であれ手を伸ばして掴んで口に運んで検証する年頃の息子。これから … 電車モデルか、恐竜のフィギュアか、、、お人形さんか、何が好きな子供になるのかとても楽しみだ。 心をこめて綴ります バナーをワンク...

妊娠期の思い出⑤性別不詳のまま超音波2回

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赤ちゃんの性別を知るのは妊娠期の楽しみの一つでもあると思う。 産まれてくる子を迎える準備をするにも、性別が分かったほうがベビー服や各種ベビー用品を用意しやすい。また何といっても名前を考えやすいと感じる人も多いことでしょう。 しかし、我が家では性別は『生まれてくるまでのお楽しみ』で性別不詳のままにしておいた。 女の子を欲しがっていた夫の LLAMA 。 出産に立ち会い感極まる誕生時に「男の子でした」と知るなら、「本当は女の子が良かったな」なんて気持ちもきっとどこかにふっ飛び、がっかりなんてする間もないだろう。だけどまだ我が子の姿を見ることもないうちから「男の子」と知ると、楽しみも無くなりがっかりするに違いない。だから知らないままにしておこう。 というのが、彼の理由(どのくらい冗談だったかは不明)。 そして結果見事に男の子だったのだけど。。。 ということで、初診の時から「性別は知りたくない」と伝え、毎回の定期健診ごとに「性別は言わないで!お楽しみにしているから!」とナースにも助産婦にも超音波技師にもクギを刺していた。 英語では ”She” または ”He” とすでに有性の主語で文章が始まることが多々ある。性別を知りたくない私達のために、いつも ”the baby” に置き換えてくれて、結局最後まで口を滑らせることもなく性別不詳を徹底しくれたクリニックのみんなに感謝である。 私が受けたお産までの定期健診は、通常4週間ごと(毎月)→予定日が近づくと2週間に1回、そして毎週、というスケジュールだった。そのうち私の場合は、母体や胎児に問題が見られなければ、超音波検査は2回だけ行われることになっており、1回目は初診の頃だったので 10 週目あたり。そして2回目は骨格が体の形が形成された頃、たしか 20 週目あたりだった。 日本では検診のたびに超音波検査があるように聞くけれど、私のアメリカでの経験はたったの2回。良い事なのだけれど、母子ともに元気に順調であり、そのため追加超音波検査の機会も無かったので、手元に残った思い出の超音波写真も2種類だけ。 その貴重な2回のうちの2回目は、体の形がはっきりとしてきている時期のためうまくいけば検査の画面で性別も分かるチャンス。 (厳密に言うと、それよりも前に行われる血液検査でも DNA のチ...

妊娠期の思い出④つわり期の通勤

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今日のNYエリアはスノーストーム。 春はもうすぐと思いたい3月だけど大雪&嵐の予報が出ていて、我が家の庭も朝から雪景色。これから一日中更に雪が降り続くらしい。 妊婦だった昨年の冬も、何度か雪の中を通勤した日があったな...と思い出したので、ちょうど冬に経験した悪阻期の通勤のことを。 ROCKIN' WASABI INSTAGRAM (FEB, 2017) 悪阻はあった。しかしきっと軽症だったのだと思う。 気分が優れない日は多々あったものの、ありがたいことに毎日片道2時間近くの列車&バス通勤をして朝から夕方まで仕事へ行くことができたのだから、きっとずいぶんマシな悪阻だったのだろう。 仕事はオフィスでのデスクワークなので、立ち仕事や出張などの外出が多い職に比べると負担も少なく、そてもとてもラッキーだった。 しかし、それでも長い通勤時間が辛い日はあった。 とくに朝からあんまりぱっとしない日は「通勤中に具合が悪くなったら嫌だな … 」という気分で精神的に元気が出にくい時もあり、早く悪阻の時期が終わらないかと思いながら週数を指折り数えた妊娠初期は、一週間がとても長く感じたものだった。 アメリカで「悪阻」は、日本の「食べ悪阻」を指すようで、「いつも何か食べてる」とか「食べれば落ち着く」というイメージがあるらしい。実は私の悪阻も軽い食べ悪阻で、空腹を感じる少し手前からなんだか気持ちが悪くなり始めるような症状だった。そのため、そうなる前にチビリチビリとおやつを食べて凌ぎ、本格的に気持ち悪くなるのを防いでいた。 幸い、甘いものはあまり欲しなくなり、濃い味よりもあっさりさっぱりのものを好んだので、いつも職場のデスクではプチトマトやブロッコリー(なぜかブロッコリーがとてもおいしかった)、リンゴやイチゴなどを摘まんではもぐもぐ食べては悪阻予防。 通勤中でもタッパーに入れた野菜や果物、または味気ないクラッカーやミックスナッツ、またはのど飴などをちょっとずつ口にしながら、気分も間際らしながらだった。 その頃はちょうど真冬でコートを着ていたので、バッグの中だけでなく私のコートのポケットは右にも左にもおやつ常備。いつも身の回りにすぐおやつを確保し、万が一具合が悪くなってはいけないので、いつも化粧室のある車両に乗り … イヤ...

妊娠期の思い出③まわりへの妊娠報告

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日が長くなり、来週末からはもうdaylight saving(サマータイム)がスタートするというころ、冬の嵐がやってきた今週末。 強風と雪に見舞われ寒さが戻ってきたもの、積もった雪がすぐにとけて無くなっている様子は、やっぱり春が近づいてことを感じさせてくれる。 昨日、ハドソン川越し遠くに久しく行っていないマンハッタン。。。 さて、今日は妊娠期の思い出③まわりへの妊娠報告について。 結論としては … ①     夫 LLAMA :自宅で妊娠検査薬陽性と出たそのアシで。 ②     私の日本の両親:↑のすぐ後 ③     LLAMA の両親:↑の翌週あたり ④     私の職場の直属の上司:初診を終えた少し後、おそらく 11 週目頃 ⑤     職場のみなさん:安定期に入る直前頃 ⑥     SNS (友人・知人):安定期に入った頃 諸事情やタイミングがあり、早い時期に妊娠を告げていた知人も一部ほんの数名いたけれど、凡そこんなタイミング。 妊婦様とか不妊様とか ... とくにインターネット情報の世界では色々あるようだけど、我が家はやりたいようにやりたいタイミングで妊娠について報告した。 ①     夫 LLAMA :自宅で妊娠検査薬陽性と出たそのアシで。 「もしかして」の可能性があることは夫にも伝えていたので、自宅で検査し夫にはそれと同時に報告。 ②     私の日本の両親:↑のすぐ後 私達にとって喜ばしいとこなので、近い親族にすぐ報告することは躊躇しなかった。私達どちらの親にとっても初孫となる妊娠。遠いからこそか、故郷広島の私の両親にはすぐに報告をした。 ③     LLAMA の両親:↑の翌週あたり 夫 LLAMA の両親にもすぐさま報告をしたかったが、こちらはしばし保留にし妊娠発覚の翌週にすることとした。というのも、我が家から車で 10 分少々のところに住む LLAMA 両親とは、ちょうどサンクスギビングの...