70年目の原爆記念日、祖父母の言葉を思いだしながら・・・

「ワシのことなんか気にせんでええ。この歳まで生きれとるのがオマケなんよ。」

「ほうよね、ウチらぁあのとき死んどったかもしれんのが、生きとるだけのことよ。」

戦時中には満州などにも飛んで行き、間もなくの沖縄特攻に備えていた最中の終戦で生き延びた祖父と、
70年前の今日、広島市内で被爆し地獄絵の街で生存者として生きた祖母。

3年前に私がアメリカに出発する当日に、そんな二人がかけてくれたこの言葉はいつも心にあります。


長生きしてくれているのがなによりですが、もう90歳代ですから、、、
日本出発時には「どうか元気でいてよ!」と、なんとも切ない気分になっていた私。
それを気遣って、「いらない心配はするな。そんな事よりも、アメリカでのこれからの自分の生活をしっかり頑張りなさい。」と、決起の言葉でした。

今ごろ広島は、、、1945年の原爆から70年目の時を迎える朝か、、、

と、今日は故郷に思いをはせる一日を過ごしています。


人は誰だって、それぞれの人生があって、それを生きようとしているのは同じです。
ただ、その命を全うしたいだけのこと。
平和に、幸せに。

その時代に生きていない私達なので、同じ思いを経験することは到底できませんが・・・
原爆からの復讐心や憎しみだけに溺れるばかりでなく、この先何十年と草木も生えないだろうと言われるほど壊滅した広島の街を、人の手で復興させて現代の美しい街へとつくりあげてくれた先人達の力と強さは、無駄にはできません。


やられた分だけやり返さないと気が済まないとか、、、
ウチらは被害者なんだから、アンタらどうにかしてよ、とかではなく、、、

自分達の人生は自分達で生きていく。
平和な暮らしを築き、それを人々&未来にも受け継いでいく。


そんなふうに生きていきたいと、私は思います。





今日の広島も、70年前のような雲一つない暑い晴天の朝なのかなぁ・・・

70年回目の祈念日が平和な一日でありますように。


心を込めて綴ります
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コメント

  1. 私もこの時期、ハドソン川沿いのイントレピッドの側を通ると、あの船に特攻した日本の特攻隊兵と、その時犠牲になったアメリカ兵の方々に、心の中で手を合わせます。
    今ヘンリー・ハドソンを走る車の多くが日本車で、そこから見える摩天楼にはたくさんの大手の日本企業が入っていて・・・
    敵国だったアメリカで、日本が活躍できる平和な時代になったことを、喜んでいてくれるかなぁ?なんて思います。
    今こうして、アメリカで生活できているのも、多くの人たちの命と努力の上に成り立っているって忘れちゃいけないですよね~・・・

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    返信
    1. kawamukoさん
      そうですね。いまこうして私達が何事もなく、当たり前のようにアメリカで暮らしていられるのは、私達では想像もできない大変な思いをしてくれた多くの人達のおかげだと思います。
      いがみ合うのではなく、自分たちの生活を立て直し未来の基盤を作り、国際社会の一部となるたくさんの「生産」(物質的にも、社会的にも)をしてくれた先人達に感謝し、その姿勢を忘れてはいけないとも思います。

      削除

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