フィラデルフィア日帰り ~イースタン州立刑務所編

先日投稿の、フィラデルフィアチーズステーキで腹ごしらえした後、
付き合いはじめから「いつか、あそこに連れて行きたい!」とLLAMAに言われ続けていた、
Eastern State Penitentiary(イースタン、又は東部州立刑務所)へ行って来ました。
フィラデルフィアの美術館が立ち並ぶ中心地のすぐそばで、砦のようです。



1830年代に建設され1970年の閉鎖までの約140年間、刑務所として多数の囚人を収容しました。

閉鎖後、一度は巨大な廃屋となってしまったものの、
1990年代より歴史的建造物としての保存がはじまり、一般客が来場できる博物館のような施設となりました。

それでも1990年代のオープン当初は、建物内の一部の決まった場所だけを巡るツアーのみ、
そして全員ヘルメット着用&「身に何か起こっても責任は一切追及しません」という免責同意書にサインをしての参加だったようです。

いまは入場料の支払いで自由に見学することができます。

塀の内側。

刑務所全容です。
高い塀に囲まれた広い敷地内に、複数のセルブロック(独房が並ぶ建物)が放射線状に設置された設計です。
放射線の中心になる円形の場所からは、各セルブロックの端までまっすぐ見渡せるつくりです。

保存&一般開放されているセルブロック。
アーチ状の天井が続く長い建物の両側にスライドドアが並んでいます。各独房のドアです。

二階建て設計のセルブロック。

独房の入口は、大人なら頭を下げてくぐるようにしなければ通れない小さな間口です。

もともと... 独房にドアのような出入り口はついていなかったそうです。

囚人は、刑務所の場所や様子が分からぬよう頭からフードを被され目隠し状態で刑務所に送られます。
囚人がこの刑務所に送られてくると、独房の反対側(セルブロックの通路に面した側ではなく、建物の外に面した側)にある外からの入口より押し込まれます。
フードを外されるとそこは独房。そして施錠されていたそうです。

いまはこのようなドアがついている通路側ですが、もともとは食事を供給するための小さな扉しか付いていなかったのです。

それも、「囚人を完全に孤立させるため」の設計でした。

囚人達は刑務所内の他の囚人とコミュニケーションをとることは許されず、、、というよりも、
人を見ることが無い、音や気配さえ感じることの無い、『孤独』な時間を課されていたのです。

囚人が独房から出る時には必ずフードで目隠しをされ、シャワーの時間や、それぞれの独房に併設された小さなワークアウトスペース(ここも高い塀に囲まれ独り)で唯一空を見ることができた時間(一日に一時間だけ)も他人との接触は無し。
刑務所の職員も建物内を無音にし気配を殺すため、足音がしないよう靴に柔らかいカバーをかぶせて職務に就いていたそうです。

小さな出入口のみ、そして分厚い石の塀で囲まれた独房での時間は常に孤独で静寂です。

セルブロックに並ぶ多数の独房内には、使われていたベッドと小さな棚や椅子が残ったまま建物が荒廃した様子が見られます。

石で覆われた独房の天井から光を射している、小さく空いた天窓のような穴は、『The Eye of God』(神の目)と呼ばれていました。

キリスト教(とくに清教徒)の思想がベースとなっていた(なっている)国、アメリカです。
囚人は何日も、長ければ一年間過ごすこの独房で、「神がいつも見ている」ことを感じ祈りを捧げることが大切とされていたそうです。
また、囚人達が唯一読むこのが許され与えられた書物は、キリスト教のバイブルのみでした。

十代の時に何度も観た映画「Dead Man Walking」を思い出しました。。。

このような、他との接触を排除し孤独を与える、静かに神に向かい祈るよう設計された独房の並ぶこの刑務所は、
「罰を与えるためではなく、悔い改めさせるため」
の更生施設と考えられていたそうです。

(ここで言う更生とは、「悟りに至り神を受け入れる」というキリスト教の考えがベースなのですが...)

なので... 「Prison」ではなく「Penitentiary」

ただ... こんな「ナニモ 聞コエナイ、ダレモ 居ナイ」な環境にいれば、更生よりも先にメンタル的に病んでしまう可能性があるのは言うまでもなく。。。

特に夜になれば真っ暗闇で何も聞こえない状態が、毎晩何時間も続きます。
すると幻覚幻聴なども起こってくるわけで。。。

ある囚人は、自分を傷つけ流れる血を独房内のチリや、石を砕いた砂と混ぜてグラデーションをつくるように色を変化させ、壁画を描くかのようにそれを壁に塗りつける行為をつづけ...
壁全面が彼の血で覆われもう塗る場所がなくなった後に命を絶った、という例もあるそうです。

神を受け入れる前に...神に会いにいってしまった...
でも、キリスト教で「自殺」は絶対に許されない大罪なので、彼は天国には行けない(地獄行き)
なのです、、、キリスト教的考えでは。



イースタン州立刑務所は、アメリカのみでなく世界ではじめての「更生施設=penitentiary」だったそうで、
後に何百もの刑務所(penitentiary)が、この刑務所の設計をベースに&モデルとして建設されました。

1830年のイースタン州立刑務所の完成以来、1850年代には年間10,000人もの見物人が訪れるひとつの観光地にもなるほど、この刑務所の存在は有名になっていたそうです。


独房の中でも来場者に人気(?)な、アル・カポネ(悪名名高いマフィアの一人)の収監されていた部屋。
(1929-1930の8ヶ月間収監)
資料が見つからなかったので、ここに置かれた家具がオリジナルか否かは断言できませんが...
(たぶん、復元用の設えでオリジナルではないと思いますが)
当時のアメリカで最もお金&権力を握っていたマフィアのドンは、檻の中にも豪華な家具を用意しお気に入りのワルツを聞きながら過ごしていたのだそうです。



建物内は全面開放されているわけではなく、一般来場者立ち入り禁止のエリアもあります。
立ち入れないエリアは、廃屋で放置されたままのような状態なのが見えます。



場内には、スタッフのガイド付きでのみ立ち入り可能なエリアもあります。

医療棟の中の手術室として使われていた部屋。

食事を用意して供給していたスープキッチン。 
もともと他人との接触を完全に経ち囚人を孤立→更生させる目的で建設された刑務所ですが、
このポリシーも疑い見直されるようになり、後には囚人達同士がコミュニケーションをとれる、また共同に作業や生活活動ができるように改善されていきました。
このキッチンや、ここに併設されていた食堂スペースもその頃から設置されたのだそうです。



結局... 頑丈な壁や枠組みなど、建物自体に問題は無かったものの、電気&機械系統の老朽化がひどくなってきたことから、1970年にこの刑務所は閉鎖となりました。
当時ここに収監されていた囚人達は、それぞれ別の刑務所へ送られたそうです。


歴史的な建造物として再びオープンした今、館内の開放とともに、一部の独房では刑務所という場所をギャラリーにしたアートインスタレーションも設置されています。

今回展示されていたものから2点をご紹介。


"Cozy" by Karen Schmidt
囚人たちが日にちを数えるためにつけた壁の小さな印の数々のように、ニットの網目一つ一つを数え編み、
その柔らかく温かいニットで、冷たい独房壁とベッドなどの家具を覆った作品です。
「囚人達がここから出たかった気持ちのように、見る人達がニットの心地よさに誘われここに入って行きたい、という反対に作用しながらも同様な「感情・衝動」をかき立てたい』とアーティストは説明しています。

"Apokaluptein 16389067: II" by Jesse Krimes

刑務所入所経験のあるアーティストが、実際に彼が収監されていた時に制作した作品です。

囚人用に配られるシーツに、ニューヨークタイムズ誌の切り抜きをヘアジェルで添付し作りあげたパネル状の作品は39点にも及ぶそうです。
その作品が独房壁に貼り付けられるようにして展示されています。



こうして、広い刑務所内を歩き回った数時間の滞在でした。
廃屋となった石と鉄の古い建物の中で、思想、経済、歴史と共に移り変わってきた刑務所を見て、またコンテンポラリーアートの展示も見られて、とても興味深い場所でした。


ハロウィンシーズン(9月下旬から11月上旬)には毎年恒例の「Terror Behind the Walls」という、刑務所を会場とした夜間のお化け屋敷イベントも開催されるそうです。
(我が家はLLAMAが行きたがっております...)


次回・・・
日帰りフィラデルフィアのもう一つの目的地『ムター博物館』へつづく。。。


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